芸術表象のポエティクス

1.ルネサンスアルチンボルド

 昨年夏に国立西洋美術館で開催された「アルチンボルド展」は、彼の代表作とされる《四季》をはじめとする作品群のために活況を呈したようである。たしかに、美術史的な彼のポジションはともかくとして、彼の作品それ自体が有するグロテスクな奇抜さとアーティスティックな構図などは現代の若者たちにウケそうではあった。実際、私も彼の作品群に触れてみて、その魅力をひしひしと観取することができた。こうして私の芸術体験を述べていこうとするうえで、アルチンボルドは魅惑的であると同時に示唆的であるという点でとりわけ重大である。
 
 アルチンボルドは1526年のミラノ出身であるというから、イタリアのルネサンス初期からは一、二世紀を経たところの「花の都」に生まれたということになる*1。この時代のヨーロッパ世界がペストの流行やオスマン帝国の侵略*2などによる社会不安に苛まれ続けていたことはもはや常識であるが、こうした時代にこそ人文知の希求が実践的なレヴェルで汎化していった事実はまさしくルネサンスの到来を帰結するのである。また、それと同時に進行した宗教改革の影響は同時代的な芸術を論じるうえで見逃すことができない*3。特にアルチンボルドが侍したハプスブルク家は"ガチガチの"カトリックであったから、このファナティックな宗教改革運動には拒絶反応をとりわけ強く示すことになった。
 
 とはいえ、アルチンボルドオーストリアで活躍した16世紀後半は前述の社会不安が徐々に克服されつつあった時代といえるだろう。1555年にはアウクスブルクの宗教和議で旧教・新教の対立は一旦の妥協を見たのであるし、ペストも落ち着いてきていたようである。そうした比較的平和な時代において人文科学よりも自然科学の方に一般的な関心の重点が移ることは、ルネサンスとの対比において理解しやすい*4。であるからこそ、1564年に神聖ローマ皇帝の座に就いたマクシミリアン2世が博物誌的な自然愛好の傾向を示していたことは至極当然といえる。アルチンボルドがこの皇帝の時代に侍するようになったことは、彼の当時の作品に決定的な志向性を付与したという点で非常に関係的である。たとえば、連作《四季》の《春》。ここで描かれている男性は美しい草花どもで構成されている。鑑賞者はその構成力の巧みさに驚愕せざるを得ないが、より微視的にその草花に注目するとその写実の巧みさにもまた驚嘆するのである。ここにアルチンボルドルネサンスを観取できるのである。それを、鑑賞者の多くは分かっていないように思う。展覧会の後半において一見無関係と思われるような博物誌が主題化されていたのは、そのような理由があってのことだろう。

 しかし私がアルチンボルドに対し一定の失望を覚えるのは、結局のところ彼が御用画家であったという点である。御用学者にしてもそうなんだけれども、その類の一群がどうしても好きになれない。アルチンボルドに関してはその手法の独創性は偉大で評価されて当然だとは思うが、その題材はしょせん皇帝の興味関心に依拠したものに過ぎないわけで、そこに御用画家としての限界がある。もっとも、その時代性を考慮すれば仕方のないことなのだが。

 最後に、アルチンボルドシュルレアリスムとの関係について述べておきたい。アルチンボルドの面白さは作品の巨視的/微視的な表象の解釈によってその絵画の性格が全く異なるという点にあるように思われる*5。視覚という生来的な認識装置と、認識対象としての絵画。彼とシュルレアリストたちが共有するのは、装置と表象との認識的連関についての問題提起であろう。アレゴリカルなアルチンボルドの作品には実のところ、そうしたセンシティヴな哲学的問いが秘められているように思えてならない。

2.運慶、日本的媚態の臨界としての

 運慶の仏像はどこかエロティックである。もちろん、それはあくまでも副次的であって、前景化されるのではない。なにしろ、彼の手掛ける作品は仏教を主題化しているのだから。しかし、なお彼の仏像はエロティックである。あの微笑はエロティシズム以外のなにものでもない。日本における伝統的(少なくとも新興とは呼ばれない限りにおいての)な宗教をいくつ、我々は数えることができるだろうか。誰もが認めるであろうことは、仏教がその一つとして数えられることである。1500年近く昔に我が国に伝来した仏教は日本史上で盛衰を繰り返してきた。日本仏教史は限りなく長大な物語である。一方、ヨーロッパにおいてキリスト教は端的に2000年の歴史を持つのであって、こちらも想像を超えるような盛衰を経験している。私はここで、宗教芸術について考えてみたいのである。

 聖母子像。ラファエロのそれが有名であるが、彼の聖母子像は、我々をものの見事な肉体美で圧巻する。聖マリアの豊満な乳房、神の子イエスの豊かな肉付き。母なるマリアの伏し目もまた、エロティックである。そのエロティシズムは、しかし、控えめである。奔放でない。聖母子像に限らず、というより聖母子像よりもずっと直接的にエロティシズムを表現するのが"宗教ヌード"であるが、これは私には宗教というヴェールを纏った娯楽画に思える。そのヴェールをやはりエロティックな所作で剥奪すれば、その内実は途端に明らかになろう。一方、仏教芸術にはそういうところが感じられない。禁欲主義的な宗教性は両者に共通であるにもかかわらず。

 九鬼周造日本民族特有の美意識として「いき」を考察したが、我々は彼の考察をここに適用できるはずである。九鬼は「いき」という現象を、運命による"諦め"を得た"媚態"が"意気地"の自由に生きることだと定義した。はたして、運慶の仏像は「いき」か? 私は首肯したい。運命による"諦め"というと、出家者の世俗に対する"諦め"は容易に連想される。ーー有限的な存在者としての人間が世を捨て仏教に帰依して修業を積み、無限の世界へと開かれていくーー。まさに"意気地"ではないか。だが、しかしである。"媚態"は異性に対するところの様態であるのに、彼の仏像にはそのような対他性を見出せないように思われる。ここに西洋美術との決定的な差異がある。ある種の西洋美術は、宗教美術に限らず、性表現の大胆さに特質がある。通俗的に言えば、「見せられるところは見せる」わけである。さて、私が主張したいのはこのようなことである。すなわち、運慶の仏像には媚態でありながら媚態でない様態ーー媚態の臨界ーーの表象が窺える。一線を越えれば俗的な媚態に"堕"してしまう、緊張的な様態。そこに、運慶の凄絶がある。いわば、ラファエロの聖母子像のような。運慶の作品のエロティシズムはラファエロと共有される。単に異性に対するのではない、アガペーを宿した魂がその微笑に、その伏し目に見出せる。

3.周辺地域のポストモダン的アート

 国立新美術館で開催された「サンシャワー 東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」*6は非常に示唆的だった。なによりも、展示の対象が地域性・時代性の点で広範である。改めて、現代美術の形式からの開放性を思い知ったところである。それと同時に、この美術館において開催時期が重なっていた「安藤忠雄展」*7ともテーマを共有するところがあり、なかなか興味深かった。

 1980年代といえば東西冷戦体制の末期で、1989年のマルタ会談で冷戦は終結、1991年にはソ連が崩壊する。ソ連崩壊は、東側諸国の理論的支柱としての"社会主義"というイデオロギーの敗北を決定づけた*8。そう、資本主義であるとか社会主義であるとか、そういった根柢的なイデオロギーへの不信感が高まりつつあった時代が、この時代なのであった。「大きな物語」の終焉によるポスト・モダンの到来である。思想史的には、構造主義における"構造"と"カオス"とのダイナミックな二項対立を乗り越えんとして、ドゥルーズ=ガタリの"リゾーム"概念が登場してくるのである。リゾームは、ハイアラーキー構造を絶え間ない"微分化=差異化(derivation)"によって解体するアナーキーな理論・イメージであるが、この既成の構造の土台として「大きな物語」が在る。二項対立からの脱出は、冷戦期の二大イデオロギーからの逃走を自然と導出する。すなわち第三世界論は、進歩主義的なイデオロギーへの反抗として、世俗的な自律(autonomy)を主題化するのである。

 今回の展覧会はこのような視点からすると、東南アジアという"周辺地域"においてポストモダン的な言説が如何にアートへと還元されたかを窺い知ることのできる貴重な機会であった。勿論、展覧会のテーマはこれに尽きるわけでは全くない。その点は強調しておきたい。補足しておくと、私の言う"周辺地域"とは、ウォーラーステインの世界システム論に依拠した用語である。"中核(core nations)"に相対するところの"周辺(peripheral nations)"であって、価値判断を本来的に含有する用語ではないことに注意されたい。

 前述のとおり、展覧会のサブ・テーマが非常に広範ですべてを概括することはできないので、ポストモダンをテーマにとりわけ印象深かった作品を紹介していこうと思う。まず、ノルベルト・ロルダンの《弁証法唯物論(Dialectical Materialism)》(2013)。この作品は衝撃的であった。1980年代の政治バナーを無加工で提出したもので、その手法はデュシャン的だが、よりはるかに政治的である。"Dialectical Materialism"とだけ書かれたこの巨大な政治バナーはある種の虚無感さえ感じさせる。いうまでもなく弁証法唯物論とはマルクス主義歴史哲学の根本理論であり、その歴史哲学は歴史の最終段階として革命を据えている。しかしちょうどこの時代、マルクス主義という「大きな物語」は失効を余儀なくされていた。とはいえフィリピンはやや特殊で、1960年代から1986年の革命で倒れるまで親米反共のマルコス独裁政権が政治を牛耳っていたので、こうした「大きな物語」も一筋の光明として機能していたようである。ただ、ロルダンが2013年にこの政治バナーを題材に作品化したことは、マスターナラティヴの現代的意義の再確認という点で示唆的であることは間違いないだろう。

 ウダム・チャン・グエンの《タイム・ブーメラン(Time Boomerang)》(2014)も「大きな物語」の拒否を示唆しているようだった。世界地図の上に置かれた黄金の片手。まるで世界全体を支配するかのようである。この作品は、私がこの展覧会で最もよく考えさせられたものである。以下、私の解釈を述べていく。ーー「大きな物語」は統一の原理である。実際、冷戦期の東西対立は両陣営のイデオロジカルな統一のもとに成立していた筈だ。アジアとて例外ではなく、鳩山由紀夫時代に東アジア共同体構想としてアジア主義的な統一が志向されていたことは忘れてはならない。そうした統一的な全体化は、個物の個別性を後退化させ無意味化する。グローバリゼーションに対する批判はそこに生まれる。いま、この黄金の片手は不可視の統一思想であろう。それも黄金であるのは、その類の思想が"善"や"正義"や"真理"を身に纏うためである。本当の恐怖は正義のフリをしてやってくる。しかし、この作品が示唆するのはそうした統一思想の不可能性である。黄金の片手の指先は、それぞれ切り取られている。故にこの片手は世界地図を押し潰しはしているが、掌握はしていない。全体化の限界の裏に個物の顕揚を暗示するこの作品は見事だと思う。ーー

 他にも、心に訴えかけるような作品がさまざまに在った。周辺世界の現代人としてのアイデンティティがそのような創作を可能にするのだろう。世界システム論は、中核によって周辺が搾取・支配される現実をシステム論的に考察している。だとすれば、第三世界・周辺地域としての"アジア"にあって世界随一の先進国である我が国はきわめて特異なナショナル・アイデンティティを保持することになろう。我々がこのような展覧会で観取できるのは、周辺としてのアジアへの幽かなシンパシーと自己省察への強い意志である。

*1:たとえばジョット《カナの婚礼》は1305年、マザッチョ《三位一体》は1427年の作品である

*2:オスマン帝国によるコンスタンティノープル攻略は1453年である。のみならず、当時はイタリア戦争の最中であった

*3:昨年はルターの『95ヶ条の論題』からきっかり500年というメモリアルイヤーであったにもかかわらず、少なくとも私の周囲でルターが盛り上がったことはほとんどなかった!

*4:平和ボケすると人文科学は不必要に思えるものらしい

*5:シュルレアリスムにおけるこうした絵画の例としては、マッソン《画家とその時代》やエルンスト《鳥のような頭部》が挙げられる

*6:この展覧会は国立新美術館森美術館の二館同時開催だったが、後者には結局足を運べずじまいだった。心残りである

*7:こちらにも足を運んだのだが、ここで論じるにはあまりにも建築の知識が乏しいので扱わないことにした

*8:西側諸国(とりわけ先進国)においては1960年代にはマルクス主義への失望(ex.1968年革命)がはやくも蔓延していたようである

ラスト・エイティーン

 歳が変わる。つい二週間前に年が変わったばかりだというのに、新年はいつもこうやって慌ただしい。

 もうすぐ歳が変わる。振り返ってみると、"18歳"は本当に大変だった。"14歳"も大変だった。でも、"18歳"はもっと大変だったかもしれない。
 まず、受験があった。とてもつらかった。合格発表があった三月はずっと部屋に篭ってたけど、たまに散歩しては車とすれ違う度、このまま轢かれてしまっても別にいいかな、と思っていたのを覚えている。
 入学した。気分は良くなかった。入学式の日は右眼にものもらいができていたから、本当に最悪の気分だった。会場の東京国際フォーラムには二度と来るまい、と強く思った。
 サークルに入った。ATLと吹奏楽部。ATLは男子校みたいでとても居心地が良かった。吹奏楽部は雰囲気が合わなくて、すぐ辞めるだろうなと思っていた。
 はじめて思想書を読んで哲学を志望するようになった。哲学は人生を変えるかもしれないな、と思った。そうしたら、吹奏楽部を辞める気も自然と削がれていった。
 色んな人と話したり出掛けたりして、色んなことを知った。自分がすべてじゃない、ということがよく分かった。居心地の良さが必ずしも自由だというわけじゃないということを思い知った。

 これまでたくさんの失敗を重ねてきたけれども、そのすべてが未来の糧になりますように。

肯定ペンギン論考-それは何の表象であったか-

序.表象不可能性

 およそ表象されるもの--表象されうるもの--が可視化され再現前化(represent)される以上、我々は目の前の事物に対しその〈意味〉を想起せずにはいられない。原爆ドームアウシュヴィッツ強制収容所……第二次世界対戦(et 太平洋戦争)における悲劇的な虐殺の表象。しかしあれほどの惨事は70年以上が経過した現在でも表象可能か? というより、そもそも表象可能なのだろうか?我々はそうした建築物を前にして何を理解するのだろうか?当事者がよく気づいている…その語れなさ、表象不可能性に。言葉を以て朗々と語ることはできない。言葉に詰まりながら……沈黙…。それが『ショア』の示した民族大虐殺の表象不可能性ではなかったか。そうした表象の臨界に敢えて挑み、表象不可能なものを表象すること。それが『ショア』の試みではなかったか*1
 そうした表象の不可能性とは対照的に我々の周りに溢れかえるキャラクター(character)たち。そもそもそれらは志向性が収容所などとはまったく異なる。キャラクターにおいて、いかに表象するか、というのは「よりfamiliarに、よりpopularに」を基調とし、表象の分かりやすさに主眼が置かれたのではなかったか。その中で我々がはじめに見たゆるキャラたち--せんとくんひこにゃんのような--とは一線を画す、北方領土エリカちゃん(2013~)のようなものも登場してきた。これはなかなかキテレツだが、底流を異にするわけではなく、理解は困難でない。では、このような表象可能性はいかにして実現されるか?まず、表象対象の分かりやすさ、というよりもむしろ、曖昧さである。いわば、対象のアイデンティティの不確立。あまりにも悲惨すぎるもの、或いはその対照としてあまりにも幸福すぎるものはそれ自体(強烈な)アイデンティティが確立している。それらはその強烈さ故に当事者の他には理解が困難であり、また表象も困難であるのではないだろうか。たとえばアウシュヴィッツや共同墓地のマスコットキャラクターなど悪趣味、さらにナンセンスといってよいのである。そして、流行である。ゆるキャラの流行。「よりfamiliarに、よりpopularに」の結果、爆発的に増加したカワイイゆるキャラたち。しかしこの現象は危険を孕んでいる。すなわちその反動、アンチテーゼとしてのカワイクナイゆるキャラたち。その例はわざわざ列挙するまでもないだろう。問題はその先にある。そうした流れの中で形成される無法地帯*2の中で本来表象不可能なものを強引に表象しようとする積極的な動きが生まれたら? ナンセンスの渦巻く世界には背を向けざるを得ない。

1.肯定ペンギンの表象

 ここで、個別的な事例に移ろう。肯定ペンギン(のあかちゃん)とは何か。「生きとし生ける人々を、肯定したり褒めたり労わったりちやほやしてくれる」*3ペンギン。この説明ならびに実際のスタンプなどを参照すれば分かるようにここでいう肯定とは、生の肯定に他ならない。いわば「生の肯定ペンギン」である。ここで、生のサンス(sens)という概念を導入しよう。サンス(仏)は英語のsenseに近いが決して同一ではない。ひとまず[方向]としておこう。イメージとしては矢印の方向である。生のサンスは我々が有機体として存在を始めた瞬間に出現した一方通行の矢印である。また一義的である。肯定ペンギンの肯定はあくまでもこの生のサンスに沿うかたちで行われる。それでは、このペンギンに、生のサンスに抗うような肯定は可能だろうか? 答えは否。肯定ペンギンは「死に至る病」に言及することはできない。というより、たとえ言及は可能であっても、死を、絶望を肯定することはできない。何故か? 我々人間と肯定ペンギンとの間のリジッドかつラディカルな存在的差異に視座を移そう。すなわち、テンポラリーな存在としての人間とパーマネントな存在としての肯定ペンギン。物理的存在にあらゆる制限を余儀なくされている人間に対して、その人間が作り出した肯定ペンギンはメディアとして、表象として、存在し続ける。皮肉なことに「人間死すとも肯定ペンギンは死せず」なのであり、その意味で肯定ペンギンが死を語ることはきわめてナンセンスである。
 さて、それでは何故、肯定ペンギンをメディアとした生の肯定が必要とされるのだろうか?

2.生の肯定の意味

 生の肯定とはショーペンハウアーの言葉を借りれば「生きんとする意志」であり、たとえば彼は性行為のうちに純粋なその意志を見出だすわけであるが、「我々は生のサンスに従って生の欲動たるエロスのみに突き動かされている」というのは単純すぎる。我々はエロスとともに必ずタナトス、すなわち死の欲動を知っている。そもそも我々の生きる世界は多種多様なサンスが入り乱れるカオスであり、ホッブズ的に言えば「万人の万人に対する闘争状態」、ラカン的に言えば想像界、人々が自己の幻を追求し相互暴力に至る領域である。それは人間が反自然的な存在である、つまり過剰なサンス*4を孕んでいることによるのであるが、そのようなカオスをおさえつけ秩序を生成したところで、完全にカオスを排除できるのではない。換言すれば取り残されたカオス--バタイユによれば「呪われた部分」--は必ず存在するのである。絡み合った過剰なエロスとタナトスにより流動するカオスは秩序の外に排除されながらも実は秩序を支える二重の記号活動--すなわちサンボリックとセミオティック--のうち後者の原型としてしばしば秩序に侵犯しその再構成を図るのはクリステヴァの示した通りである。
 さて、死のサンスともいうべきものを想定しよう。これは生のサンスと原点について対称な矢印とイメージすることができる。概してこのような対称により定立できる事象はきわめて「分かりやすい」。それは単純な二項対立によるイメージが可能であるからだろうか。やはり死も「分かりやすく」ふと憧憬の対象となることもあるし、それは人間にとり本来的なことではないだろうか。しかし、これを肯定ペンギンが肯定できないことはすでに述べた通りである。
 ここで、生の主体(sujet)たる自己の肯定と生の肯定との関係について見ていきたい。生の肯定は自己の肯定を必ずしも要請するとは言えないが、自己の肯定は生の肯定を要請するのではないか。すなわち、生の肯定とは自己の肯定の必要条件であって十分条件ではないのではないか。自己の肯定に視座を移そう。

3.間奏

 一時期(2016~2017)、インターネット・ミームとしてペンギンという単語が流行した。それはここで検討している肯定ペンギンに加え、もう一つ、Twitter上のある界隈における過度の「ペンギン」という単語の使用による。その界隈とは、いまだはっきりとした命名がなされていないが、ひとまず倫理界隈の発展形としておこう*5。彼らは独自の文脈のなかで「ペンギン」「コーギー」「巨頭オ」「黒人天皇」「完全な球体」などの語句--いわゆる文脈語--を使用し、発達障害ブームと相まって人口に膾炙するようになった。そのダダイズム*6シュルレアリスム的な前衛的魅力は受験と恋愛で朽ちた私に奇妙な興味を抱かせ、私はその界隈に足を突っ込むに至った。あらゆる文脈を哄笑し、あらゆるパラディグム、サンタグムに反抗する態度は刺激的だった。Twitter上では「いいね」を求めない、承認欲求を憎みユーモアのみを信じるその態度。そこに肯定ペンギンの存在である。もちろん私を含め界隈の人々は肯定ペンギンを文脈語として扱った。肯定ペンギンは失禁したのであり、精神を荒廃させたのであり、ストレス死したのである。ペンギンに対する印象の明暗はくっきりと分かれながらも「明」たる肯定ペンギンは「暗」たるその界隈に吸収されたのであった。

4.自己の肯定

 自己肯定には二つの道筋が用意されている。絶対的道筋と相対的道筋。ルソーによれば前者は自己愛(l'amour de soi)、後者は利己愛或いは自尊心(l'amour propre)だという。自己愛は「自己の自己による自己のための評価」であり自然と矛盾せず、生きていくための必要が満たされさえすればよいのだという思考に至る。ここで、ルソーの言う自然状態とはホッブズのそれとは異なり、悪徳なき調和の状態であったことに注意しよう。一方、「利己愛は、自分の力の及ばないものとの比較から生まれるもの」*7であるという。つまり、後者はジェラシー--或いはルサンチマンと言ってもよいかもしれない--に起因する自己の相対的な評価である。ところで英語においては自己肯定感と自尊心がともにself-esteemと表現されるのは面白い。さて、以上から分かることとは何か?肯定ペンギンは自己愛増幅のためのメディアであって、利己愛とは関係のないものであるということである。当然ルソーは利己愛でなく自己愛を評価したのだから、彼にしてみれば肯定ペンギンはまさに肯定すべき存在だっただろう。この点に関して私が反論する余地は残されていない。自己愛というかたちでの自己肯定が要請する生の肯定、「生きんとする意志」。ここに私は肯定ペンギン批判の論拠を失うことになるのである。

 

*1:YouTube上の動画『表象とその臨界』を参照されたい。

*2:ここでいう法とは実定法のことではなく、当然倫理のことでもない。「何でもアリ」の比喩である。

*3:肯定ペンギンのあかちゃん-クリエイターズスタンプ-LINE Store

*4:浅田彰『構造と力』に詳しい。ピュシスの類同代替物としての象徴秩序の記述も興味深い。

*5:「ひとなぐりこけし」のエントリ『倫理』に詳しい。

*6:なお精神障害ダダイズムとの関係はマックス・エルンスト精神障害者の絵画に感銘を受けたと語っていることから分かる。

*7:ルソー『人間不平等起源論』